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[21] 岩岡中正選。  投稿者:秋山白兎  投稿日:2010年01月15日 08:56:41  No.21001
風鈴に触るゝは誰が魂魄ぞ  秋山白兎 
 風鈴にかすかな風が来てふれたという、きわめて繊細な情景なのだが、表現は、その思いの丈(たけ)を一気に吐露して力強いものがある。「誰が魂魄ぞ」に切々たる思いがこもっていて、作者の脳裏には誰か具体的に忘れ得ぬ故人や遠方の人がいるにちがいない。その思いの丈は、風鈴「に」と軽く抑えて、「触るゝは」と静かに展開して、「誰が魂魄ぞ」と高らかに宣言する、一句のドラマティックなしらべにも十分現われている。思いが深ければ、しらべもおのずと、これに沿うものなのである。
 この句の楽しさは、従来の「風鈴」の季題一般の趣きを、さらに拡大した点にある。つまり、これまで「風鈴」といえば軒端に吊って季節感を楽しむところに情趣の中心があったが、この句では、風鈴の風を通して思う人の魂が伝わるという、一種のコミュニケーションとしての風鈴の情が詠まれている。
 季題の幅を広く広く試みることがいま必要であり、これこそが写生の本義である。それにしても、この句の「触るゝは誰が魂魄ぞ」と言い放つ元気と若々しさを、心からうらやましいと思う。
 



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