|
[20] |
義理が廃ればこの世は闇だ。
投稿者:秋山白兎
投稿日:2010年01月14日 15:10:34 No.20001
|
|
|
畳にして2畳敷きほどながら書斎のある土方・秋山白兎は口数の多い男として夙に有名です。 今日は現場でバレンタインデーの義理チョコについて熱弁をふるいました。 義理チョコ・・・・・義理と褌は欠かせぬもの・・・・・とよく云うが、義理はともかくとして、何で褌なのか・・・皆さんは疑問を感じたことがありますか?。 江戸時代・・・文政期の幕府の公文書の中に、「病死行倒れ異変の時、下帯無之候もの取扱、差別伺ひに御付札」とあって、つまり、フンドシをしないままで死んだ場合は、人間として扱わず、禽獣として葬る、という意味。 昔、東海道筋の雲助たちの六尺褌に対して、どこの質屋でも、一両の四分の一に当る1分を貸したという。六尺の晒布は当時の値段で百文。百文の晒布に質屋はなぜ、その十倍にあたる金を貸したか。雲助といえども、己の陽物を一度でも包んだ晒布は「聖」なるものであり、必ず褌を請け出すことを質屋の親爺は知っていたからです。 蛇足ながら褌のことを「屁漉し」とも云うそうです。
|
Re:義理が廃ればこの世は闇だ。
投稿者:秋山白兎
投稿日:2010年01月15日 11:08:21 No.20002 |
|
井上ひさし『新東海道五十三次』(文春文庫、一九七九年)に、ふんどし(褌)の話がある。文政期の幕府の公文書に「土ならびに町人百姓、病死行倒れ異変の時、下帯無之候もの取扱、差別伺ひに御付札」とあるそうである。井上氏は言う。
つまり、褌をしないままで死んだ場合は、人間として扱わず、禽獣として葬る、というのだ。……〔略〕……禽獣として葬るとは、下着を剥ぎ取り、手足を縛り、その間に棒を渡して墓穴へ担いで行くということである。これは心中者などにも用いられた方法で、男は褌を抜き取られることになっている。べつにいえば、褌もせずに旅に出るようなやつは人間じゃない、禽獣だ、だから禽獣なみに葬ってよい、という理屈である。
|
|
|
|