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先日、荒船山に登ってきました。 ジョンレノンも、かりゆし58も「かけがえのない今」「今日は(誰かが)あれほど生きたいと望んでいたのに生きられなかった一日」なんだ、と思って、やりたいことは今日の内にと思い、登山口まで二時間を運転して、行ってきました。 登山口に着いたのは朝の6時半。すいすい登って、7時半には「一杯水」に着きました。昔から修験道の山で、蟹鋏岩などがありますが、この水ももう既にセシウムに汚染されていると思い、飲めませんでした。八時に山頂、気温9度。展望台や艫岩からの絶景は四つん這いになっても強い恐怖を感じました。ここでも、修験道の修行がされたのではないかと思いました。死の恐怖によって、「あと三十年は生きられない。漫然と毎日を繰り返して生きていたら、明日さえも生きていないのと同じだ」と思いました。くだりは一時間半で元の登山口に・・。 下るときに登ってくる同じ単独行が二人、二人パーティーが二組、7人が一組、17人が一組。 10時半には、麓の荒船の湯に浸かっていました。 空の白い雲を見ながら考えました。 人はなぜ山に登るのか? どこかで、野ネズミや鳩が、夜中に無意味な走り込みをしたり空を無意味にクルクル回るのは、摂取した炭水化物だかたんぱく質を無毒化するためだという説を思い出しました。 人間も何年も前から、いてもたってもいられずに旅に出ることもあっただろうと思います。江戸時代には、何カ月もかけて「伊勢参り」や「金毘羅参り」がされてきたようです。現在、高価な家に住み高価な車を所有しても、何ヶ月も旅に出て仕事を休むことなどできません。今よりも経済的には豊かなような気もしますし、たとえ旅行に出かけても、飛行機や新幹線や自動車に乗って出かけるので、自力で移動して体の調節をするという目的が達成できない気がします。まるで荷物のように移動させられているだけですから・・。 そういう意味で、テレビやパソコンという「紙芝居」やファミレスや牛丼屋のような「餌場」に飼いならされてしまうと、野生のエネルギーが蓄積されないし発揮されることもなくなってしまいかねません。 野山をさまよいましょう。野菜などの食べ物を手足を動かして栽培してみましょう。命のエネルギーがどこから来るのか気が付くと思います。私は、ずっとずっと考えていくとそこに福岡正信さんが不機嫌な顔をして立っている気がします。
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