秋田各駅停車の旅 掲示板

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【掲示板に投稿される迷惑書き込みの対処方法をまとめました。】
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[19] 帝国鉄道庁の謎  投稿者:管理者  投稿日:2026年08月14日 22:17:26  No.19001 [返信]
東能代駅横にある東能代統括センターの建物の前には、「帝國鐵道廳」と刻まれた石標が埋もれています。

鉄道を管轄する行政機関は、鉄道黎明期の明治時代にはなかなか定まらず、数年単位で改組・改称が行われていたようです。
帝国鉄道庁は、そんな混乱期の1907年(明治40年)4月1日に逓信省管轄下の組織として設けられ、翌年の1908年(明治41年)12月5日に鉄道院が創設されたことに伴って消滅したという、極めて短命の組織です。

120年も前に一瞬だけ存在した組織名が刻まれた石標が現存しているということ自体、驚きなのですが、なぜ東能代駅にあるのかが謎です。
東能代駅(当時は能代駅)が開業したのは、帝国鉄道庁ができる6年前の明治34年で、当時の所管官庁は逓信省鉄道作業局でした。
帝国鉄道庁に改組されてから、わざわざ石標を造って設置したのでしょうか。

ちなみに、JR東日本が運営するサイト「JREメディア」でもこの石標のことを取り上げていますが、同サイトでは「石標は東能代駅が機織駅だった名残」と紹介していますが、正確ではなく、機織駅に改称されたのは明治42年11月1日で、帝国鉄道庁が消滅した11ヶ月後です。

https://media.jreast.co.jp/articles/2184

なお、他の駅にも同様の石標があるのかは、調査していないのでわかりませんが、情報をお持ちの方がおりましたら、教えていただければ幸いです。



[18] 曲岩線構想  投稿者:管理者  投稿日:2026年07月12日 18:55:16  No.18001 [返信]
また新たな鉄道構想(未成線)を発見しました。
大曲〜羽後岩谷駅間に「曲岩線(曲岩鉄道)」を敷設するもので、大正時代には既に構想があったようです。
昭和30年代には、国鉄予定線への追加も模索され、地元関係者による現地調査も行われたと、平成2年に発行された大内町史に記載されています。

同区間は、旧大内町と旧南外村が接しており、現在も国道105号線で結ばれていますが、町村境は山深い矢立峠があり、沿線に小集落が点在するだけですので、実現のハードルはかなり高かったと思われます。



[17] 秋田市にガイドウェイバスか新交通システムの構想があった!?  投稿者:都会からの旅行者  投稿日:2026年07月02日 18:19:06  No.17001 [返信]
2001年1月に発行された「新線鉄道計画徹底ガイド 東日本編 川島令三著 山海堂」という本に、秋田市のガイドウェイバス構想が載っています。
秋田空港モノレールでは輸送力過剰のためガイドウェイバスか新交通システムに変更。ガイドウェイバス案では県庁前-秋田駅東口付近6.7�qをガイドウェイ区間としている。新交通システムでは臨海十字路-下北手間約8�q、または臨海十字路-秋田空港間約20�qとした。採算性のあるのはガイドウェイバスですが、それでも空港需要の増加を見込んだ大雑把なかなり甘い見通しで償却前決算で7年目で黒字、償却後決算で30年後に黒字と記載されています。
簡易的な地図も載っていて、和田-四ツ小屋間で奥羽本線と交差し新駅を設置するようになっています。
ガイドウェイバスも法律上は鉄道扱いなのですが、未成線のコーナーには載っていません。検索しても何も出てきません。調べてみてください。



Re:秋田市にガイドウェイバスか新交通システムの構想があった!?  投稿者:管理者  投稿日:2026年07月02日 20:56:40  No.17002
情報ありがとうございます。
新交通システム導入の噂は耳にしたことがありましたが、ガイドウェイバス構想があったとは知りませんでした。
私なりに調べてみたいと思います。

ちなみに国内唯一のガイドウェイバスは名古屋市にありますが、今年度で軌道法の適用がなくなるようですね。



[16] ホームページを更新しました  投稿者:管理者  投稿日:2026年07月01日 19:10:27  No.16001 [HOME] [返信]
7月1日付けでJRに以下の動きがありました。
・JR秋田港線廃止
・JR東日本の組織改編により「秋田支社」が「秋田事業本部」へ

これに伴い、当ホームページを更新しました。
併せて、未成線を大幅に追加しました。
明治から昭和初期にかけて、我田引鉄は秋田でも盛んだったことがよくわかります。
どうぞご覧ください。



[15] 内陸線鷹巣駅は転換時も「鷹ノ巣駅」だった  投稿者:都会からの旅行者  投稿日:2026年06月16日 18:18:04  No.15001 [返信]
内陸線の鷹巣駅の改称時期ですが3セク転換時ではありません。転換時も「鷹ノ巣駅」を名乗っていました。当時の記念切符にもはっきり「鷹ノ巣駅」と表記されています。
こちらでは検証できなかったのですがwikipediaには全線開業時に改称とあります。(<地方点描>「ノ」に歴史あり」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2012年7月19日、朝刊、24面)を根拠としているようです。
調べてみて下さい。



Re:内陸線鷹巣駅は転換時も「鷹ノ巣駅」だった  投稿者:管理者  投稿日:2026年06月21日 08:22:36  No.15002
都会からの旅行者 様

いつも当サイトをご覧いただきありがとうございます。
また、ご指摘ありがとうございます。

当サイトの情報は、できるだけ複数の書籍や公的情報を参照した上で掲載し、高い精度に努めているところではあります。
ただ、今回のご指摘を受けて改めて書籍等を参照したところ、「当時の町名に合わせた駅名表記とした」という記述はありましたが、それが転換開業時なのか全通時なのかを明記したものは確認できませんでした。

また、秋田内陸縦貫鉄道にもメールで問い合わせてみましたが、今日時点で回答はいただけておりません。

なお、ご指摘のとおり改称が全通時だとすれば、次の疑問が湧いてきます。
すなわち、転換開業時から駅舎・改札は別だったと記憶していますが、転換開業時に駅名標を「鷹ノ巣」として、全通時にわざわざ「鷹巣」に塗り替えた(取り替えた)のでしょうか?
(そうなると記念切符の件は説明できませんが・・・)

また、wikipediaでの説明を根拠とされていますが、「鷹ノ巣駅」の説明は確かにそのように記載されていますが、一方で「秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線」の説明では、昭和61年の転換開業時に改称したと記載されています。
そもそも私は個人的にwikipediaの情報は信頼度が高くないと考えており、参考情報程度にしか捉えておりません。

さらに、wikipediaが情報源とした秋田魁新報の記事(というより記者コラム)ですが、中身を確認したわけではないので今回の件については断言できませんが、取材不足や記者の思い込みによる記事も少なくありません。
(私も何度か鉄道に関する記事に誤りを見つけて同社に指摘したことがあります)

同じ駅なのに鉄道会社によって駅名が異なるというのは、全国的にはいくつか例がありますが、秋田県では唯一なので、興味深いところではあります。
この件については、引き続き探ってみたいと思います。

なお、当サイトの記述については、現時点で事実が確認できないため修正したいと思います。



続報です  投稿者:管理者  投稿日:2026年06月24日 21:36:43  No.15003
都会からの旅行者様からのご指摘を受けて鷹巣駅の命名経緯について調べておりましたが、このたび、秋田内陸縦貫鉄道様から回答を得ることができました。

平成元年の全線開業時に「鷹ノ巣駅」から「鷹巣駅」に改称したとのことです。
鉄道ジャーナル(1989年7月発行)にも「全通開業に合わせて鷹巣町の要望で鷹ノ巣から改称した」というような記述があるようです。
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

ということは、転換時に設置した駅名標をわざわざ変えたのでしょうね。

今回のご指摘で、まだまだ私は調査不足であることを認識しました。
また情報がありましたら教えてください。



こちらの追加で調べてみました 時刻表編  投稿者:都会からの旅行者  投稿日:2026年06月25日 01:09:23  No.15004
こちらも前回の投稿の後、追加で調べてみました。内陸鉄道側から回答があったとのことですが、真相がわかってよかったです。以下の文章は昨日まで時間のある時に少しづつ書き足したもので、情報の出典までできるだけ記載しておきます。検証等の参考にしてください。

所蔵している国鉄監修交通公社の時刻表 1986年11月号(復刻版ではなく当時発行のもの)によると、索引地図(全国の路線図)P17には「鷹ノ巣」と表記された国鉄奥羽本線駅から秋田内陸縦貫鉄道北線が分岐しています。現在のようにJR「鷹ノ巣」駅のすぐ横に内陸鉄道「鷹巣」駅がありそこから内陸線が伸びる形ではありません。
また、列車時刻が掲載されている本編P477の部分には上下線とも「鷹ノ巣」と表記されています。少々本題から外れますが、この号の本編には北線と南線の路線名と全駅名、会社の代表電話番号は表記されているものの肝心の時刻部分は「秋田内陸縦貫鉄道は11月1日(土)に開業予定です。時刻・営業キロ・運賃は12月号に掲載します。」とだけあり、空欄で載っていません。10月下旬発売の11月号なので本来なら載っているはずなのですが理由は不明です。
付録の訂正表には内陸鉄道に関しては何も記載されていません。記念きっぷ・オレンジカードのコーナーも国鉄線のみで他は一切記載されていません。他、巻頭カラーページ、付録のニュースなど告知のページにも内陸鉄道は一切載っていません。
この号は翌年春の分割を考慮した国鉄最後のダイヤ改正でした。そのためかわかりませんが、現在に比べて締め切り後の訂正項目が細かい字で2ページ分もあり、非常に大変な制作状況だったことがうかがえます。現在復刻版も出ているようなのでよろしければ確認してみてください。
https://books.jtbpublishing.co.jp/book/60001-20140201019-000/

1号限りのJNR編集時刻表として有名な弘済出版社版1987年4月号(現在のJR時刻表)も所蔵してますが、こちらも索引地図、時刻表本編とも「鷹ノ巣」と表記されています。「鷹巣」は一切載っていません。路線図は前述の交通公社時刻表86年11月号と同じで「鷹ノ巣」から北線が分岐しています。時刻はきちんと載っています。
なお、1986年12月号、全線開通の1989年頃の時刻表は一切持っておらず未確認です。



転換当日の鷹ノ巣駅の動画を発見  投稿者:都会からの旅行者  投稿日:2026年06月25日 01:23:23  No.15005
YouTubeにて秋田県マーケティング戦略課で運営する秋田県の公式チャンネル WebTVあきた内に
「昭和61年 秋田内陸線スタート、秋田博開かれる」という動画を発見しました。開業時の「鷹ノ巣駅」の情景が映っています。
https://www.youtube.com/watch?v=uVF7qHtWztw
内陸線駅舎前面「秋田内陸縦貫鉄道 鷹ノ巣駅」の表記が濃い青色で、現在の白色「鷹巣駅」とは違っています。ホームの駅名表も鷹ノ巣の表記です。

雑誌「鉄道ファン」の公式サイトに1988年2月9日新潟鐵工所にて撮影されたAN8800形の写真がありますが、方向幕が「鷹ノ巣」となっています。
https://railf.jp/summary/company/mintetsu/akita-nairiku/
もしかしたらまだAN8800の幕には「鷹ノ巣」が残っているかもしれません。

鉄道ジャーナル誌の記事により改称の理由が明らかになりましたが、今回調べているうちに気付いた「内陸鉄道でもこういった事情があったのでは?」という推測、仮説です。
1.全線開通のタイミングで開業した西鷹巣駅に合わせた
「西鷹ノ巣」では長い感じがする
「鷹ノ巣」も「西鷹巣」に合わせて「ノ」を取ってはどうか、二種類の表記は現場でも混乱のもと
2.角館から鷹巣町へ行く際に内陸線ルートと既存の田沢湖線・奥羽本線ルートができ、JR、内陸鉄道双方で切符の誤使用を防ぐ目的で全通時に変更した(JRの切符で内陸線に乗ってしまわないようなど)
もし鷹巣町からの要望がなければ「西鷹ノ巣」になっていたのでしょうか?

全線開業時に「秋田内陸線の旅」というB5版厚さ7mmくらいの沿線PR冊子が250円で売られていました。内陸線の歴史、車両ガイド、各駅の紹介のほか、秋田弁講座(県南北別で標準語訳付き)なんてページもあり、広告が多数載ったもので、何か参考になることが書かれているかもしれません。89年の夏に内陸線に乗った時に買いましたが、捨ててないはずなのですが探しても見つかりませんでした。沿線の図書館の郷土資料コーナーにあるかもしれませんので、もし余裕があれば探してみてください。

色々と調べているうちに、次々と「鷹ノ巣」表記が見つかってしまいました。長文になってしまいすみません。少しでもお役に立てれば幸いです。



[14] 大曲〜神宮寺間の専用線についての情報を求む!  投稿者:管理者  投稿日:2026年06月12日 22:37:43  No.14001 [HOME] [返信]
国土地理院が公表している昭和23年の空中写真を見ると、大曲駅〜神宮寺駅の中間付近で、玉川に向かって何かの専用線が分岐している様子が確認できます。

廃線跡の情報については、ほとんどが市販の専門書や図書館の資料などで確認したものですが、この専用線については、古い県内地図を見ているときにたまたま見つけたものです。

しかし、いくら探してもこの専用線に関する情報がなく、河川敷に延びていることから、当時全国で盛んだった川砂利採取のための専用線であろうことは想像できますが、確証がありません。

この専用線について何か情報をお持ちの方がいましたら、是非教えてください。



[13] 秋田市路面電車 将軍野停留所の写真について  投稿者:ディグダグ  投稿日:2026年06月09日 16:53:10  No.13001 [HOME] [返信]
突然の投稿、申し訳ございません。

管理者様が過去に投稿された以下URLの写真について、
SNSで使わせていただきたく、連絡差し上げました。

https://www7a.biglobe.ne.jp/~akitetu/lost/l_akitasi/index.html

このページは、秋田市交通局(路面電車)の跡地を巡られている内容で、
遣わせていただきたい写真は、将軍野停留所の新旧写真です。

詳細はメールでお伝えしたく存じます。
ご検討いただきたく、ご連絡をお待ちしております。



[12] 中西徳五郎の正体は・・・?  投稿者:管理者  投稿日:2026年06月08日 23:00:58  No.12001 [HOME] [返信]
大正11年から昭和15年にかけて、二ツ井駅から米代川までのわずか700mの人車軌道があり、中西徳五郎という人物が個人で経営していました。
しかし、この人物の正体がよくわかりません。

生まれが二ツ井町であることは間違いないようですが、その後は秋田市に移り住み、大学卒業後は司法試験に合格して明治33年に司法官試補となり、その2年後には検事となっています。
そして明治36年に弁護士登録しています。

ここまでの経歴を見ると、法律のエリートであり、鉄道営業とはまったく縁がないように思えます。

ところがここから、まるで別人のような経歴となっていきます。
明治41年に県北で金や銀の試掘権を得たり、翌年には秋田魚類株式会社の監査役を担っています。
時代が大正になると秋田市議会議員となり、大正4年には秋田県議会議員となっています。

そして大正6年に軌道の特許を得て、大正11年に人車軌道を開業させています。なお、この間、二ツ井電気株式会社の取締役も務めています。

国立公文書館の資料を見る限り、上記のような経歴をたどっていますが、明治36年から41年の間に、人が代わったかのようで、本当に同一人物なのか疑いたくなります。

この人物に一体、何があったのか、本当に同一人物なのか、情報をお持ちのかたがいましたら、お知らせください。



[11] 男能鉄道の全容が判明  投稿者:管理者  投稿日:2026年04月30日 22:43:39  No.11001 [HOME] [返信]
男鹿〜能代間に鉄道敷設計画があったことは知っていましたが、詳細な資料がなく、その全容は謎でした。
たまたま国立公文書館の資料を閲覧する機会があり、その中に男能鉄道に関する資料がありました。昭和11年に免許申請しながら、あえなく却下されていましたので、具体的な部分はほとんど定まっていなかったのだろうと思っていましたが、実はかなり計画が固まっていたことがうかがい知ることができました。概要は次のとおりです。

本社:南秋田郡脇本村(現:男鹿市)
資本金:80万円(当時の額)
途中駅:8駅
軌間:3尺6寸(1,067mm)
動力:蒸気

満を持して国に申請したのでしょうが、国の返答は「殆ど全区間に亘り並行したる乗合自動車の施設ありて目下の交通状態に於いては急設の要なきものとす」というものでした。

敷設予定地は、八郎潟東岸に比べて昔も今も人口希薄地であり、仮に申請が認められて鉄道が開業していたとしても、短命に終わったのは容易に想像できます。



一米線の正体  投稿者:管理者  投稿日:2026年05月03日 21:32:08  No.11002 [HOME]
国立公文書館の資料には、一米線に関するものもありました。

奥羽本線を建設する際、秋田〜能代間は五城目町を通る予定でしたが、建設反対運動によって隣の八郎潟町(一日市)を通ることになり、開通後、その利便性を失った後悔から、五城目町は一日市〜五城目間の鉄道建設を進め、その先、阿仁合線(現:秋田内陸縦貫鉄道)の米内沢まで延伸する計画も立ち上げました。

ここまでは、別の資料で以前からわかっていたのですが、今回、さらなる延伸計画があったことが判明しました。

昭和11年に「一日市米内沢間鉄道敷設期成同盟会」が内閣東北振興事務局長他へ提出した建設推進の陳情書に添付されている路線予定図を見ると、「第二予期線」として阿仁合線の阿仁前田から花輪線の宮川までの計画線が描かれています。
(「宮川」とは現在の八幡平駅と推定)

陳情書本文にも「米内沢より阿仁前田駅を経由して花輪線宮川村大里部落に接続する第二期横断線」との記述があり、一米線を第一期横断線に位置づけていたとすれば、秋田県北を東西に横断する壮大な鉄道計画が存在していたことになります。

ちなみに、昭和元年には阿仁前田から現在の太平湖付近まで森林鉄道森吉線が開通済みであり、同線の転用も念頭にあったのかもしれません。



[10] 秋田内陸線の列車が脱線・転覆事故  投稿者:管理者  投稿日:2025年12月13日 12:10:25  No.10001 [返信]
令和7年12月12日早朝、秋田内陸線の荒瀬〜萱草間を走行していた1両編成の列車が、線路上にあった倒木に衝突して脱線し、橋梁上から8メートル下に転落し、運転士が負傷するという大事故が発生しました。

車両は上下逆さまで落下し大破しましたが、乗客は乗っておらず、運転士も、顔面から出血してはいるものの会話ができる状態とのことで、不幸中の幸いでした。

これまでも、踏切での車との衝突などはありましたが、脱線に至ったのは、平成元年の開業以来、今回が初めてとのことです。



[9] 仁賀保駅  投稿者:スノケン  投稿日:2025年04月02日 16:44:25  No.9001 [返信]
時間限定ではありますが 有人の切符販売所が有り
全国の新幹線、在来線の指定席が購入出来ます。
(羽後本荘駅との電話でのやり取りですが)



[8] JR奥羽本線の土崎〜秋田港廃止へ  投稿者:管理者  投稿日:2024年09月20日 09:44:23  No.8001 [返信]
秋田県は、クルーズ船が寄港した際に土崎〜秋田港間で運行しているクルーズ列車について、2026年3月末をもって廃止の方向で検討していることを明らかにしました。

同区間は、秋田臨海鉄道廃止に伴って貨物輸送がなくなった後もJR貨物が保有し、維持管理してきましたが、2026年3月末で終了する意向を示したとのことです。

クルーズ列車の運行を継続する場合、同区間の移管を受ける必要があるとのことで、恒常的な営業収入が見込めない以上、廃止は不可避と思われます。



[7] 秋田臨海鉄道株式会社が解散  投稿者:管理者  投稿日:2023年05月28日 18:32:33  No.7001 [HOME] [返信]
秋田臨海鉄道を運営していた会社が解散しました。
鉄道営業は既に2021年3月末で廃止されていましたが、鉄道設備の撤去その他の残務処理のため、会社は存続していたものです。

廃線跡を見に行きましたが、シンボルだった雄物川橋梁は橋脚・橋台を含めて全て撤去され、接続していた築堤も崩されるなど、「ここまでするか」というくらい痕跡が消し去られていました。

昭和45年の会社設立から半世紀、工業県を目指した夢の跡が潰えました。



[6] 北上線の2駅廃止へ  投稿者:管理者  投稿日:2021年12月18日 10:02:50  No.6001 [HOME] [返信]
JR東日本は、令和4年3月12日のダイヤ改正で、北上線の矢美津駅と平石駅を廃止すると発表しました。

両駅は、以前から利用客が極端に少ないとして、平成28年から冬季全列車通過の措置がとられてきましたが、今後も需要が見込めないとして廃止に至ったようです。

JRとして県内の旅客駅が廃止となるのは初めてとなります。



[5] 懐かしの鉄道風景  投稿者:管理者  投稿日:2021年07月24日 08:34:24  No.5001 [HOME] [返信]
かつて当ホームページに掲載し、廃線や車両更新などで掲載が終了した画像を集めたページを新設しました。

まだそんなに「懐かしい」と言えるほどではありませんが、もう二度と生では見ることができない風景ですので、ご鑑賞ください。



[4] 泉外旭川駅  投稿者:管理者  投稿日:2021年04月12日 21:33:02  No.4001 [返信]
開業間もない泉外旭川駅に行ってきました。
無人駅とはいえ、住宅地の真ん中にできた駅とあって、乗降客は意外と多い印象です。

この駅は、旧秋田機関区の跡地にできたため、大きく離れた上下線が挟む形となっています。
そして改札口を出て驚いたのは、機関庫がそのまま残っていたことです。

もちろん、機関車はありませんでしたが、錆びたレールが残されているほか、なぜか駅から機関庫へ向けてスロープが設置されていました。

機関庫の秋田方にはソーラーパネルが設置されていて、青森方には泉外旭川駅が設置されてしまったので、機関庫は完全に孤立している状態です。
なぜ壊さずに残しているのか、スロープを新設したのは何のためなのか、謎です。



[3] ダイヤ改正  投稿者:管理者  投稿日:2021年03月13日 20:28:41  No.3001 [返信]
本日、県内鉄道会社のダイヤ改正が行われました。

JR泉外旭川駅の開業やGV-E400系の投入があった一方、秋田臨海鉄道が50年の歴史に終止符を打ちました。
(法的には3月31日で鉄道事業廃止です。)



[2] 折渡駅  投稿者:管理者  投稿日:2020年08月22日 19:42:05  No.2001 [返信]
折渡駅に行ってきました。
駅周辺に人家はほとんどなく閑散としていましたが、ホームは一新されており、そのミスマッチが秘境駅としての謎を深めているようでした。

謎といえば、駅前には広い空き地があり、砂利が敷かれてきれいに整地されており、あたかもこれから何か建つような雰囲気でした。
国土地理院が公開している昔の航空写真を見ると、宿舎か牛舎のような建物が2棟確認できます。
この駅は元々信号場であり、列車交換をするための国鉄職員が常駐していた可能性もありますが、それにしては建物が大きすぎます。

また、昭和の時代までは駅周辺は広大な田畑が広がっていたほか、人家もそれなりにあったことから、牛舎があっても不思議ではありません。

しかし、民有地だとすれば、建物がなくなった今でも整地し続けている理由がわかりませんし、JRの所有地だとしても、ほとんど乗降客がない駅前を開発するわけがありません。

ここには昔、何が建っていて、何のために整地されているのか、情報がある方がおりました教えてください。



[1] 掲示板を再開しました  投稿者:管理者  投稿日:2020年07月25日 17:11:06  No.1001 [HOME] [返信]
諸々の事情により使用を停止していた掲示板を7年ぶりに再開します。
秋田の鉄道に関する情報の交換や提供、鉄道を利用しての感想や自慢、弊サイトに対するご意見やご指摘など、様々な投稿をお待ちしています。

ただし、他の投稿者に対する誹謗・中傷、言葉尻だけを捉えて相手の感情を刺激するような批判・反論、弊サイトや秋田の鉄道にまったく関係のない意見・要望等についての投稿があった際は、管理者の権限で削除するとともに、悪質な投稿者については、次回からの投稿を禁止する措置をとりますのでご注意ください。



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※Noは、日付の後ろについている「No.XXXX」の英数字になります。
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